2011年12月15日

夜の短編喫茶5

時代設定とか登場キャラクターとか、作風が似たり寄ったりにならないように工夫してます。
・・・それでも偏るもんは偏るんだよ!

●お品書き
1.屋根裏の妖怪
2.全国ハンカチ引きちぎり選手権
3.風が吹けば箱屋が儲かる
4.願い星
5.ブラウニーのたまご





*屋根裏の妖怪

 玉三郎の家には、妖怪が住み着いていた。気付いたのはある年の秋の頃であった。屋根裏からがさりがさり、きしりきしりと、しきりに天井板を鳴らす音が聞こえてくるではないか。もしや鼠でも住み着いたか、そう思って耳を傾けるが、どうも違う。ひとつずつ、みしみしと音をたてる様は、まるで人が歩いているような印象を受けた。やれ、盗人でも忍び込んだのかと、一瞬気味悪く思ったが、考えてみれば盗まれるようなものなど何も無い。知らぬふりして外出してみたが、戻ってくると屋根裏には確かに気配があり、そのまま何日も何日も、居座り続けたのだった。玉三郎は、その日は珍しく飛ぶように売れた野菜の代金を勘定しながら、ははあ、座敷童子の類が住み着いたか。そう思ってにんまりと笑った。
 ある日のことだ。玉三郎の用意した飯の種は、順調に売れていった。冬が近づいてきたか、今日は一段と冷える。そう思ってふと銭を入れた巾着を見ると、屋根裏のあいつのことが気がかりになった。うちの家は古く、隙間風も厳しい。特に屋根裏までは手入れなど行き届いているわけもなかった。これはいけないと、八百屋と米屋をまわり、その日の晩は上等な粥をこしらえた。壁に梯子を立て掛け、隅の方の天井板を持ち上げると、粥をよそった器をそっと置いた。そして静かに梯子を降りると、いつもいつも見守って下さってありがとう。そう言い、天井に向かって手を合わせたのだった。次の日の朝、囲炉裏の側に空になった器が置かれているのを見て、玉三郎は満足そうに頷いた。
 それから毎日、玉三郎は屋根裏の妖怪に食べ物を差し出した。自分の食べる分よりも、豪華なものを食わせてやったこともあった。毎晩寝る前に、その日あったことを天井に向かって話しかけ、たまに流行りの本なども読み聞かせてやった。屋根裏からは特に返事は無かったが、それでも天井の軋む音が聞こえるたびに、玉三郎は満たされた気分になったのであった。
 いつしか玉三郎は、すっかり生活に困ることもなくなっていた。こんな穏やかに正月を迎えられるなんてことは初めてで、珍しく白酒など買って喜んだ。屋根裏のあいつにも、何か感謝の品をと思い、上等な米で餅をついてやった。醤油を少し垂らしたそれは、まさに垂涎もの。おっといけない、こいつは俺のではないぞと木皿に乗せ、屋根裏に運んでやった。梯子を降りるとさっそく天井の軋む音が聞こえてきて、玉三郎は和やかな気持ちになった。やれ、こんな贅沢な餅など貰って、たいそう喜んでいるな。天井を踏む音も、いつもより大きく、多い。しばらく音に耳を傾けていたが、だんだんその様子がおかしいことに気付きはじめた。天井を踏むというよりは、あちこちに身体をぶつけてのた打ち回るような、ただ事ではない暴れ方である。どうしたことかと壁の梯子に手をかけると、天井板を突き破り、稚児ほどの大きさのものがどすりと玉三郎の手の中に納まった。しわしわの顔に、額には欠陥がくっきりと浮き出て、血走った目をしていた。玉三郎は思わず驚き、尻餅をついた。その妖怪は、しばらく蚊の鳴くような声で何かを呟く素振りを見せると、ついに動かなくなってしまった。
 玉三郎は酷く悲しんだ。まさか妖怪が、餅を喉に詰まらせてしまうなんて、想像もつかなかったのだ。玉三郎は庭の裏に大きな穴を掘り、その妖怪を手厚く供養してやった。そして、元旦の一日中を、泣いて過ごしたのだった。
 家に戻るが、どうにも眠れぬ。思い出すのは屋根裏の妖怪と過ごした日々だった。触れ合いこそ無かったが、あいつは俺に色んなものをくれた。それなのに、こんな結末が待っていようとは。まぶたに滲む涙を人差し指で拭ったその時、天井板の軋む音が僅かに聞こえた気がした。玉三郎がはっとして耳を傾けると、確かにがさりがさり、きしりきしりという音が聞こえてくるではないか。それも、よくよく注意深く聴いてみると、ひとつではない。右と思ったら左に、真ん中と思ったら隅に、幾重にも重なって音が響いてくる。玉三郎は意を決し、梯子を立て、屋根裏を覗いてみた。すると、そこにはざっと見ただけで二十、いやもっとだろうか。妖怪の大家族は一斉に玉三郎の方を見ると、恥ずかしそうに顔を赤らめ、やがて姿を消した。





*全国ハンカチ引きちぎり選手権

 その町は、ハンカチの生産量が日本一ということで知られている。百を超える業者がひしめき、日夜新しいハンカチの生産に励む中、どうしても売り物にならない大量の試作品ができてしまう。近頃の節約・節制ブームにおいて、これは悩みの種であった。そのまま捨てるのも勿体無い、何か使い道は無いだろうか。各社の幹部により結成されたハンカチ連合会は、一堂に会して頭を捻った。そして出た案が、このハンカチを使ったイベントを開催し、町おこしをしようというものだった。
 今日はその『全国ハンカチ引きちぎり選手権』の最終日である。早いもので今年で十五年目。参加者は老若男女問わず年々増えつつあり、全体的なレベルも相当のものだった。もはや社会現象とも言えよう。地元小学校の体育館を借り切って作った会場の端のスペースでは、このイベントのためにロシアから来日した選手が、テレビの取材を受けていた。
 ベストエイトに残った選手は、全員女性であった。やはり踏ん張る力が強いのであろうか。今大会のために性転換したという選手もいたが、ベストエイト目前で惜しくも敗退したらしい。何よりの見所は、ハンカチを引きちぎる時の選手のアクション、そして表情だ。ハンカチの端っこを口に咥え、利き手で思い切り引っ張る"ジェラシー法"。初代ハンカチ連合会会長の妻によって編み出されたこの手法は、効率良くハンカチを引きちぎることができる上、見た目も派手で小気味良い。上位を狙う選手にとっては、この方法が最も良いセオリーとされていた。そして、ここ一番で限界を超えた力を捻り出すのは、選手達各々の想像力。ハンカチを引きちぎるのにふさわしいシチュエーションを、イメージする力だ。
 例えば今日の一発目、隣の県の代表である山地ヨシコさん。彼女は五年前に夫と離婚した。その時の夫の捨て台詞のみを胸に、ここまで勝ち抜いてきた。所定の位置につき、審判が合図を出すと、彼女の周りの空気が一瞬にして氷つく。冷え切った夫婦関係の如く重圧が空間を支配し、観客達も思わず息を呑む。次の瞬間、二倍に膨れ上がった彼女の腕が、大会仕様の木綿のハンカチーフを、いとも簡単に真っ二つにしてしまった。その形相はまるで鬼か般若の類。子供は泣き出し、会場の入り口は逃げ出そうとする観客でごった返した。しかし、何故か女性達は、泣きながらも惜しみない拍手を彼女に浴びせていた。審判が腰を抜かしながら計器をチェックする。注目の記録は、なんと56ケチーフ。この時点で大会新記録であった。他のほとんどの選手がこの時点で棄権し、これは彼女の一人勝ちかと思われた、そんな中。ざわめきを一喝したのは、前大会優勝者の越智メグミさんであった。驚くことに彼女、先ほどの恐るべきパフォーマンスの中で、平然とミカンを食べていたのだ!
 このくらいで騒いでもらっちゃ困る、と言わんばかりに前に出ると、審判のマイクを奪い取り、まるで獣のような雄たけびをあげた。唸るような轟音は、生中継の電波を通して日本全土に響き渡る。とどめにボンレスハムのような腕を振り上げると、手の中のミカンジュースの缶を、一瞬にしてスクラップに変えてしまった。テレビ局のディレクターが「スタッフがおいしくいただきました」というテロップを出すのも待たず、彼女は配置につく。そして先ほどまでの気迫が嘘のように、一瞬にして消え去ってしまった。いや、目を凝らすと彼女はそこにいる。消えたのは彼女の気配。人知を超えた精神統一の成せる、明鏡止水の極致。会場内に迷い込んだスズメが、彼女の頭にとまるが、彼女は微動だにしない。その慈悲深い佇まいは、観世音菩薩そのものだ。観客達が、思わず涙を流したその瞬間。彼女は大きく目を見開き、ハンカチを口に咥える。そして、おお、これはどうしたことか。ハンカチが無数の塵と化して、霧散していくではないか。あまりの早業に、ケチーフ測定器は爆発四散。遅れて放たれた衝撃が気流の渦となり、会場内を駆け巡る。審査員達の眼鏡は割れ、観客席は薙ぎ倒された。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図とはこのことだ。
 審査の余地もなく、彼女の優勝を誰もが認めたが、それだけでは終わらなかった。深いトランス状態に至った彼女は、そのままこの世界の深淵を覗く。誰かが気付いた時には時すでに遅く、彼女は観客席で応援していた夫を、無残にもハンカチ同然に引きちぎってしまった。
 飛び散った血しぶきを拭ったのは、もちろんこの町で作られたハンカチだ。たった一枚のハンカチは、染みも残さずに最後の一滴まで拭き取り、その品質を証明した。大会がこの年で廃止となったのは言うまでもない。





*風が吹けば箱屋が儲かる

 日本橋の大通りは、かくも見事な一直線。通り抜ける風は活き活きと、長屋の暖簾を揺らして行く。特に、ここ最近のような寒い季節なんかは、北西からの乾いた風が勢い良く吹きつけてくる。
 家具をかたかたと揺らす音。神楽の笛の音にも似た掠れた音に、強風の訪れを知らされた。暖簾から顔を出すと、通りを行き交う人々が顔を覆ったり、悲鳴を上げたりしている。向かいの合羽問屋の前で、餌刺が舌打ちをした。雀にでも逃げられたか。隣の漆問屋の若旦那は、引っくり返った桶の前で頭をかいていた。手にした長い棒から察するに、漆かきの途中であったか、気の毒だ。若旦那はこちらに気付くと、開き直った様子で笑った。
「いやあ、右衛門の旦那。参りましたよ。朝から混ぜてた漆が台無しだ。」
「はは、お察しします。しかし、強い風でしたな。あそこの焼き売りなんか、せっかくの鮎がすっかり砂を被っちまって。」
「そこの菓子売りもそのようで。どこも商売上がったりってとこでしょうな。しかし、旦那にとっては嬉しい報せでは。」
「はて。」
「風が吹けば箱屋が儲かる、でしたか。はっはっは。」
漆問屋の旦那は、そのまま桶を担いで店の中へ引っ込んでいった。地面には黒い漆がべったりと残っていた。
 ―風が吹けば箱屋が儲かる―近頃流行っている小噺だ。半ばこじつけの様な理由で、風が吹いてから箱屋が儲かるまでの経緯を語った、冗談のような話である。しかしこれがあながち間違いでも無く、確かに風が強くなる季節、商売は繁盛する。とはいっても、それは今のような季節の変わり目に、箱の需要が最も高まるからである。さらに、誰も知る者はいないが、私は古く風の精霊を信仰していた一族の末裔。風招きと呼ばれる不思議な力を持っていた。商売繁盛に気をよくした私は、ついつい大きな風を呼んでしまう。不幸なことに、この力は無意識のうちに発現するもので、私自身が制御できるものではなかった。通りの人々には申し訳ないことをしたが、この季節だけだ。辛抱してくれよ、と心の中でそっと思い、作りかけのつづらの前に腰を下ろした。漆問屋の旦那は、今度酒にでも誘うことにしよう。
 店先で、たのもう、という声がした。手を止めて顔を向けると、紺染めの羽織りを着た男が立っていた。前掛けには屋号の漢字が記されている。
「今度、近くに店を構えることになりました。旅籠屋の手代でございます。」
「やあ、それはどうもご丁寧に。」
男は店の中をぐるりと見渡すと、感心した様子でその出来栄えを褒めた。
「大旦那の言っていた通りだ、噂通りの良い箱です。」
「はは、勿体無いお言葉だ。」
「それでですね、うちの店でも是非とも使わせて頂きたく。今日は注文がてら顔を出させて貰ったのです。」
「これはこれは、先ほどの風がこんな良縁まで引き寄せてしまったか。箱屋が儲かるとはよく出来た話だ。」
「それならうちもあやかりたいものです。」
お互いに顔を見合わせて笑う。店の奥の座敷に招き入れると、男は懐から取り出した紙を広げた。箱の種類と、個数が書かれているようだった。そのとんでもない数に、思わず息を飲んだ。
「突然このような大量の注文で、申し訳ない。忙しい時期とは思いますが、いかがでしょう。もちろん代金も、心ばかりの手間賃を上乗せさせて頂こうかと。」
「いやいや、そんな。願ったり叶ったりだ。さっそく明日から・・・いえ、もう今すぐにでも取り掛かりましょう。」
男は最後まで礼儀正しく、店を出て行った。その瞬間、我慢していた足が自然と小躍りを始めた。神棚の前で手を合わせ、何度も頭を下げた。これだけの大きな仕事を終えれば、入ってくる銭も相当なものである。正月には大きな鯛に、白酒も買って来ることにしよう。女房にはいつも苦労をかけているから、粋なかんざしでもくれてやろうか。風が吹けば箱屋が儲かる、本当にその通りだな。私は、この上なく満たされた気持ちで、箱をこしらえ始めた。
 三日後、見るも無残な未曾有の大嵐が日本橋を襲ったのは、また別のお話。





*願い星

 まったく童話のような話だが、願い星という星がある。夜の真ん中で、北の空に輝く星がそれだ。星に願いを、なんて言葉もあったが、どうしてだか人は天体を神格化したがる。太陽の恵みとか、月の加護とか、手の届かないものを畏れる気持ちがあるのだろう。あんなものはただ、自然にそこに存在しているに過ぎないものだ。しかし、人々が共通の認識を持ったのならばまた別の話。願い星の力を信じる人達がどんどん増えて、みんなが星に願い事をするようになる。すると不思議なことに、その星は本物の願い星になってしまうんだ。
 おじさんが中学生だった頃。あの時は、夜遅くまで勉強していた日も少なくなかった。進路のこと、世の中に対する不安。やりたいことが見つからなくて、自分の未来を疑った日もあったっけ。調子の悪いラジオのスイッチを切ると、とたんに静寂が襲ってきてね。泣きたくて、喉がぎゅっと締め付けられて、逃げ出したくなるんだ。そんな時には窓を開けて、寒空に輝く願い星を眺めたものだ。ぼんやりと輝くそれを見ていると、悩んでいたことなんて、どうでもよくなってしまう。吐く息の白さがなんだか面白くなって、ひんやりとした気持ちが優しく解けていくんだ。願い事をひとつ呟いてから窓を閉めると、そこには新しい自分がいた。とにかくやれることをやる、願い星は、そんな当たり前のことを気付かせてくれた。
 昔はあんなに綺麗に見えた星が、今ではほとんど忘れ去られてしまった。ニュースでは環境破壊がどうの、空気が濁ってるだの騒がれているけれども。一番の原因は、人々が願わなくなってしまったことだ。例えば、君の願い事は何だい。税制改革、生活水準の向上。はたまた食の安全、不安の無い国家。そんなものは、星に願うことなんかじゃない。自分達で解決し、道を切り開かねばならない問題だ。この世界の人々は、純粋な願いってものをしなくなった。大きすぎる不安は未来を閉ざし、希望なんか簡単に薄らいでしまう。身の回りのことに精一杯で、夢なんか見ている暇が無いんだろう。それはとても悲しいことだよ。人々が何も願わなくなったら、願い星もお役ごめんさ。誰も語らない物語なんて、無いものと同じだ。想像してごらん、何に願えばいいのか、わからない世界。それこそ、夢も希望もありゃしないよ。
 おっと、悪い悪い。不安にさせちまったな。おじさんはね、別に絶望しているわけでもないし、危機感なんかこれっぽっちも無いんだ。こんな状況だけれども、世の中は捨てたもんじゃない。願い星を信じる人は沢山いるし、人々の心の中には、純粋な願い事がまだまだ残っているんだから。ほら、その証拠に、見てごらん。北の空に煌々と輝く小さな光を。おじさんの子供の頃と、何ら変わっちゃいないよ。見るのは初めてかい、そりゃ無理も無い。あの星が見える日はすっかり減ってしまって、今ではこの大晦日、年が変わる直前くらいのものだ。今日ばかりは、みんな普段のことなんて忘れて、純粋な気持ちで空を眺めているんだろう。そして、澄み切った心で願い事を呟く。その沢山の願い事が、たったひとつの気持ちが、あの星をあんなに輝かせるのさ。
 さて、おじさん達も願い事をしよう。君ももう決まったようだね。星をじっと見てもいいし、或いは目を閉じたっていい。声に出したっていいし、出さなくたっていい。大切なのは、心の底から生まれてきた素直な気持ちを、そっと呟くことだけだ。

 来年も、良い年になりますように。





*ブラウニーのたまご

 学校帰りに雑貨屋を覗いた際に、面白いものを見つけた。小さな瓶の中には半分ほどの土が入れられ、白い卵のようなものが三個、半分ほど埋まっている。ラベルには手書きのような文字で"ブラウニーのたまご"と記されていた。
 ブラウニーとは、おとぎ話で見かける妖精である。身の丈3センチほどの小人のような姿をしていて、寝ている間に家事をやってくれたり、内職を進めてくれたりするらしい。そんなことをつらつらと思い出していると、後ろから店の主人に声をかけられた。タータンチェックの頭巾の中で、しわしわの顔が緩やかに動くのを見ながら、いつ見ても不気味だなと思った。
 この店について、深いことは知らない。半年くらい前に、たまたまショーケースに気になるものを見つけて、初めて足を踏み入れた。店内はどこの国のものともわからぬ珍妙な雑貨で埋め尽くされ、薄暗い店内に溢れる用途の知れない数々の品々を物色するのは、まるで小さな探検をしているかのような気分であった。珍しい匂いのするお香などをよく買っていたが、その度に店主は煙のよく出る焚き方だとか、愛称の良いお香はどれかとか、細かに説明してくれるのだ。今もまさに、まだ買うと決めたわけではない謎の物品について、長々と説明をしてくれている。結局、なんだかんだといううちに財布を開いてしまい、気付けば僕はその品を片手に帰り道を歩いていた。
 部屋に戻ると、さっそく包装を開き、店主の言葉を思い出した。瓶を開けて放置しておけば、いつの間にか孵化して、部屋の中に巣を作るらしい。試しにコルクの蓋を抜き、机の上に置いてみる。じっと眺めるが、微動だにしない。そのうちに飽きて、ベッドの上で適当に漫画なんかを読みながらぐだぐだしていると、夕飯の時間になった。よくある家族のだんらんを済ませて部屋に戻る。ふと気になって机の上の瓶を覗くと、卵の殻には穴が開いていた。とすると、もう部屋の中に巣を作っているのだろうか。そういえば、今日は数学の宿題があった。半信半疑で教科書とノートを机の上に置き、そのまま眠りについた。
 次の日。机の上には、出した覚えの無いシャーペンが転がっていた。もしやと思ってノートを見ると、きちんと問題が解かれている。整然と並んだ途中式、字も読みやすい。部屋の中を見回すと、出しっぱなしだったはずの漫画は本棚に収められ、作者順に整列し直されているという気の利きよう。これは本物だ、そう思った僕は、弾んだ気持ちで学校へ向かった。
 学校が終わり、まっすぐ家に帰る。台所からスナック菓子を拝借すると、だらしなく食べ散らかし、食べかすを部屋中に散らした。ブラウニーに与える餌は、これで良いらしい。プライドの高い彼らは、食べ物や服などの贈り物をそのまま置いておくと、上から目線の施しを受けたように感じ、気分を害してしまうとのことだ。そこで、菓子の食べ残しや、ジュースの飲み残しを部屋に放置する。すると、いつの間にか綺麗に無くなっているのだ。僕はその様子を見る度、ブラウニーはまだこの部屋にいるのだな、と安心した。そんな生活が、一ヶ月続いた。
 ある日のことだ。綺麗に組み立てられたプラモデルを感心して眺めていると、ブラウニーをこの目で見てみたくなった。夜、寝る前に食べかけのチョコレートを机の上に放置する。そして電気を消し、すっかり寝入ったふりをしながら、机の上を見張ってみた。一時間ほど目を凝らしていると、視界の隅に何かがちらちらと動いていた。静かに息を飲み、じっと眺めてみる。黒い楕円形のそれは、床を滑るように移動すると、壁を伝って机の上に移動する。食べかけのチョコレートを見つけると、物凄い勢いで近づき、触覚を器用に動かした。すっかり鳥肌の立った僕は、飛び起きて、電気をつけた。そこらへんにあった雑誌を丸めて狙いを定めると、それに向かって一直線。息を整え、恐る恐る確認すると、引っくり返ったごきぶりの死体が、ぽつりと転がっていた。
 その日から、ブラウニーは現れなくなったし、食べ残しを持っていくこともなくなった。しかし、特に残念には思わなかった。全てを忘れよう、そう決意した僕は、卵の入った瓶をゴミ箱に放り込み、殺虫剤を炊いた。
posted by トドロキ at 08:00| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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